井戸下 斗与 店長 体験談

“私とヴィットの出逢い”をお話します。今から約17年前の、平成9年のことです。


アーデントアルファ(唐人町店)店長メッセージ

私は、小さな頃から足首にタダレたり、しるなどが時々出ていました。中学生のときは、たんぱくが下りていたので体育は毎回見学。その後もひどくなる一方で定期的に手足や顔の腫れを繰り返していました。

20才を過ぎてからはますます体調が悪くなっていきとうとう22才の頃1ヶ月間の検査入院をすることになりました。

母はそんな私を心配して毎日見舞いに来てくれましたが、そのときの検査入院では原因は解らずじまいのまま退院することになりました。

それからというものカラダに良いという、ありとあらゆるものを試すのにお金を惜しんだことはありません。ヴィット細胞活性療法に出会うまでの10年間は。

病院は、もちろんのこと健食、漢方、鍼、整体、胎盤エキスの注射、祈祷、先祖供養まで。

有名なお医者様のウワサを聞きつければ、医療費は勿論、新幹線代などの交通費も惜しまず、あちらこちらを訪ね数名のお医者様にかかってみましたが、あいかわらず、原因はわからずカラダの調子は悪くなる一方でした。

そんなとき、母の病気が余命1年だと分かり、本人に病名や余命を隠したままの治療がいきなり始まったのです。(当時は本人に宣告しないのがあたり前でした)

母の余命が1年だと聞いた私は自分のカラダどころどころでは無くなりました。突然始まった母の闘病生活はその後2年と9ヶ月続きその間3度の入退院を繰り返しました。病院へは毎日励ましに行き。初めての入院のときは弟と2人で家事を代わりに引き受けました。一度目の抗がん剤治療の後退院してきた母は立ち上がれない程弱っていたので父と私で家事を引き受け、退院のときには毎回病院に付き添いました。又、ガンに効く鍼の先生が居ると聞けば母を治療に連れて行くというような母に合わせた自宅での看護や介護の生活を私は送るようになり仕事が続けられない状態になったので仕事を辞めました。

母を看取った後、父の入院や看病が3年続き肉体的・精神的、経済的に追い詰められていきました。

こんなカラダもココロもダメージがキツイときに大きなストレスがかかってしまったら母のような病気になる!! という恐怖感があり、毎日が不安で一杯で生きる希望を無くしていました。

私の症状は、極端な冷え、毎日の偏頭痛、生理不順、腰痛、腹痛、下痢と便秘の繰り返し、微熱が続く、アトピー、顎関節、ムチ打ち、肩コリ、首コリ、突発性難聴、ぎっくり腰、膝に水がたまる、腎盂炎、膀胱炎、自律神経失調症、低血圧、めまい、だるい、重い、起らきれない、目を開けられない、不眠、年中風邪…順番は忘れましたが一つずつではなく、常にいくつもの症状が重っていました。

ヴィットを初めて受け、家に帰ったとき、だるくて眠くて眠くて仕方ない!今までいろいろなものを受けてきたけど何の変化もなくいつも、ガッカリしていましたが、こんな反応は初めて!!それも、たった1回で、これは今までのものとは違う!!  とピーンときました。

私は一筋の希望の光にかけ1ヶ月間、毎日ヴィットを受けました。するとみるみる症状が改善していきカラダも軽くココロも軽くなったのです。ウソみた~い!!  と思いました。

1ヶ月足らずで冷え解消!偏頭痛解消!その後、頭の中でポンと音がして血液がザーッと流れ始めたのが自分で感じられました。

10年間苦しんだことがなかったかのようにカラダが楽になっていきました。ヴィットで、どんどんカラダがよくなったので天国の母がヴィットを見つけて教えてくれたのだと思いました。

私のような虚弱体質や未病にいいのであれば、母の闘病中、ヴィット細胞活性療法に出会っていたなら、抗ガン剤治療でみるみる憔悴しきっていったあのときの母にヴィットをしてあげたい!!  そうすれば体力が持ち上がり肉体的、精神的に良い状態になっていたと思います。もしかして奇跡が起こっていたかもと思うと残念でなりません。たとえ亡くなったにしても身のまわりの世話だけでなくカラダが元気になる手伝いができ目の前でどんどん弱っていき力を失っていく母に私は何もしてあげられなかったという無念な思いを残さず「できるだけのことをやった」という手応えが残ったと思います。

母の看病で私も父も疲労が蓄積し、母を看取った後は大きく体調を壊しました。そのときの私や父にもヴィットがあれば看病ももっと元気に頑張り抜けその後に父が大病を繰り返すこともなかったのでは?と思います。

母は48才でセンガン余命1年と宣告されました。

そのときの私は23才と若く、まだまだ母が死ぬとは想像もしていなかったのでその宣告によっていきなり精神的に追い詰められました。

医療の知識もカラダの知識もありませんでしたから自分にできることは何もなくただただ何とか母を救うことがでないかと祈るばかりでした。そして、その重い現実を受け止めるためいきついたのが「自分で作った病気は自分で治せる!! 」という思いでした。何の根拠もありません!!  ですが私にとってはこの思いを強く信じ一筋の希望の光にしてすがるしかなかったのです。気が付くと私は、母に「自分で作った病気は自分で治せるから大丈夫!! 」と必死に励まし続けていました。

母は、亡くなる前、私のカラダを心配していると言葉を残して2年9ヶ月後に亡くなりました。当時、想いは叶わず悔しくてたまりませんでした。それから、3年4ヶ月後にヴィット細胞活性療法と出会い「自分で作った病気は自分で治せる!! 」と思い続けていたことは自然治癒力を上げることだと判りました。今こそ自己免疫や自然治癒力のことなどテレビ番組で特集が組まれたりもしますが当時はそういった情報は全くなく「ヴィット細胞活性療法」と出会い初めて自然治癒力について学び、自分の虚弱体質による様々な症状もヴィット技術とセルフケアで次々と解消することができました。「母のような大病をしないように病気になる前の予防セルフメディケーションが大事!! そのためには自分で自分の自然治癒力を上げるセルフケアが重要です!! 」とお伝えすることが私のできることだとしみじみと想います。私と同じように困っている人や生前の母のように病気で苦しんでいる人に喜んでもらいたくてヴィットのことを伝え始めました。

ヴィットを伝えた方々から「楽になった」「元気になった」「気持ちも前向きになった」「カラダの不安がなくなって自身が出てきた」などの気持ちを「ありがとう」の言葉と一緒に頂いています。これからも一人でも多くの方に喜んでいただけるようヴィットの技術とともに癒しの時間を皆さんに提供していきたいと思っています。

今年でヴィット細胞活性療法を伝え始めて18年目になりましたが最近、気づいたことがあります。あの頃の私は、お医者様や病院が母の命を救ってくれると思っていましたので憔悴しきっていく母の死にざまと亡くしたことへのショックで裏切られ見殺しにされたという思いで一杯になっていました。大学病院でしたのでたくさんのインターン生が病室に来ていましたから「病院に連れて行ったら実験材料にされて『医者に殺される!』」との思い込みが産まれまだ若く知識や情報もないことで分別がつくはずもなく長い間医療に対しての不信が根強く残ってしまいました。その後「ヴィット細胞活性療法」と出会い自然治癒力を学びお客様とのかかわりを重ね今では医療の役割や目的、との重要性も理解しています。また多くの素晴らしいお医者様がいらっしゃることも知り幼い私からずいぶんと成長し、お陰様で病院やお医者様への不信感はなくなりました。何よりお客様の喜びと笑顔に私のトラウマも癒されていったのです。

ヴィットを受けられた方が、18年前カラダのことで苦しんでいたときの私と同じように長年の苦しみから解放されとても喜ばれている姿を見ることで実は私の方が癒され生きる勇気を頂いているんだなぁと感じるようになりました。


癒しのサロン・アーデントアルファ(唐人町店)

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